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〜〜するめの歴史〜〜 
それは偶然から始まった??

 四方を海に囲まれた島国「日本」では、古来より魚との結びつきはとっても深いものがありました。
そして、日本人と「するめ」とのお付き合いもとても長いものとなります。そもそも、「するめ」というものがどうして生まれたのか。
これは、多分に自然発生的なものであったと考えられます。 たまたま海辺に打ち上げられた「いか」が、太陽の熱と風の作用で干ぼしになっていた。
そこを通りがかった人が、「これは何だ?」と拾い上げる。手にとって眺め、匂いを嗅ぎ、恐る恐る口に運ぶ・・。初めて食べたその人の勇気に私達は感謝しないといけませんね。  

 


そして文献の中に初めて「するめ」の名前が登場するのは、京都が都として華やかなりし907年〜927年頃の平安時代に逆のぼります。

当時、藤原時平・忠平兄弟により「延喜式」という法典全集50巻(今でいう六法全書の様なもの)が編集されたのですが、その中にいか加工品としての「するめ」の名前が出てくるそうです。

それによると、「するめ」は他の農海産物と共に朝廷への献上品として、はたまた祭儀の神様への御供物として用いられていた様でございます。


 当時の「するめ」生産事情は、文献こそ残っていないものの、日本の国勢・産業の状態から推測しても、量的にはさほど多くは作られていなかったものと思われる事から、一般庶民の口には程遠い食品、高嶺の花が実情だった様で、一部特権階級の間の保存食品として珍重され、用いられていた様でございます。



 これは想像の域を出ませんが、諸国より朝廷に献上され、宮中での儀式・行事に使用されたあとは、殿上人達の酒宴のサカナとして、絶妙のおつまみになったのではないでしょうか。

「するめ」片手に月夜の下で一杯なんて
  粋なもんですね。

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